皐月の箱館。
江戸では初夏の風が吹き抜け、木々が青々と繁っている頃だが、
蝦夷の夏はまだ遠く、五稜郭の周辺は桃色に彩られている。
倶楽部五稜郭でも近々花見企画あがあるらしい。
と知ったのは、、、が倶楽部五稜郭に立ち寄ったからだ。
「君、勿論来てくれるかな?当日は今まで以上の持成しをさせてもらうつもりだよ。」
そう張り切っているのは、榎本である。
「あら武ちゃん、あんまり頑張り過ぎると白髪が増えちゃうわよ〜。」
「そっ…そういうものなのかい!?」
「老け過ぎちゃうと、ちゃんに嫌われちゃうかも…」
「…………!!」
山崎にからかわれ、顔色を変える榎本を見て、は苦笑する。
老けるとか、白髪…などと山崎は言っているが、榎本はこう見えても土方とさして変わらない年である。
見た目で少々誤解を受けている様ではあるが、は事実を把握している。
「別に榎本さんの見た目でどうこうって訳じゃないんだけど…」
と思ってはいたが、口に出すと榎本がどういう言動に及ぶのかが
目に見えていたので、あえて口には出さなかった。
「たまには外に出てみるのもいいよね。」
「そうですよね。」
「ここだと会えるのは夜だけに限られてしまうけど、花見なら一日中一緒に居られるしね。」
「はい!?」
何気に凄いことを言う山南の言葉を、は危うく聞き逃すところだった。
「山南さんがそんなこと口にするの、初めて聞いたねぇ。」
嬉しそうに声をかけてきたのは、この店のナンバー1、近藤である。
「そうかい?」
「今まで行動を供にしてきたけどさ…」
近藤は山南の隣に座ると、足を組み、顎を撫でながら語り出す。
「島原に誘っても全然連れねぇし、通りすがる女性の
熱い視線を浴びても、ちっとも動じなかったんだぜ。」
「近藤さんが色々な女性に手を出…あ、いや気を遣い過ぎなだけじゃないかな。」
「ん〜それ、全然俺の援助になってないよ山南さん。」
普段あまり女性に縁のない山南をからかうつもりであったのだろうが、
逆に痛い所を突かれ近藤は失笑する。
そんなやり取りを見て、は笑いを堪え切れなかった。
「何だ!?君まで、そう思ってるの?」
「だって…」
「………まいったなぁ〜。」
そう言いながら、近藤はぽりぽりと頬を掻いた。
「近藤さんのおかげで、ちょっと和んだかも…」
山南の一言で、あのまま翻弄される展開になりそうだったが、
近藤が茶々を入れてきたことによって、若干話の流れが変わった事に、は感謝していた。
山南に好意を持っている事は否めないが、面と向かって甘い言葉を囁かれるのは、やはり面映いものだ。
もしかして………近藤は、それを察していて、あえて会話に加わってきたのだろうか。
疑問に思い、近藤に視線を向けた瞬間、目が合い、近藤は何もかもを見透かしたような笑顔を向けた。
それはが、近藤がこの店のNo.1で居続けている所以を垣間見た瞬間であった。
「我が会津の桜も美しいが、箱館の桜も見事なのだろうな。」
「楽しみですね。」
傍らで無邪気に微笑むに、容保は真剣な眼差しを向ける。
「だが、きっと桜よりもそちの方が美しいのであろうな…。
桜はあくまでそちの引き立て役にしか過ぎぬ。」
「えっ………!?」
動揺してグラスを落としそうになっているとは反対に、
容保は動じるでもなく、飄々と本心を言ってのける。
の手を取ると、そのまま引き寄せ、腕の中に閉じ込めた。
「余はそちを愛でたいのだ……」
こうなると最早誰も近づく事が出来ない。
オーダーの入ったドリンクを運んできた原田も、流石に割込む事が出来ず、
踵を返しカウンターへと退散するのであった。
「そういえば、今日は君はどうしたのかな?」
山南に訪ねられ、が答えた。
「用事があって遅くなるから、今日は来れないかも…と言ってましたけど。」
「そうか、それは残念だね。」
その山南の言葉は、が残念であろうという意味の物ではなく、
何か別の意味が含まれているような気がした。
一方、は榎本に尋ねていた。
「土方さんはいらっしゃらないんですか?」
「今日はちょっと外せない仕事が入ってて、別の場所に行っているのだよ。」
「相変らず忙しいんですね。」
「ああ、たまには気分転換でもさせてやりたいと思うのだがね。」
そういう榎本は、土方は心配している…というよりは、何かを楽しんでいるような表情であった。
その頃のは…………
用を済ませ、帰路に着いた所、見知らぬ男数名に道を阻まれた。
変質者!?
が後方に下がりかけたその時だった。
「様とお見受け致します。」
「だっ、誰ですか…!?」
「どうか我々について来て下さい!!」
突然見ず知らずの男にそのようなことを言われ、ついて行ける筈もない。
は後ろを向くと、そのまま一目散に逃げ出した。
……が男達は、当然追いかけてくる。
「何なのこの人達……」
住宅街の小路を幾度も曲がり、引き離そうと試みる。
だが、気付けば追手は増え、前からも現れる。
追手の一人が叫んだ。
「貴女をお連れしないと、我々の命が無いのです。」
「どうか一緒に来て下さい。」
よほど切羽詰っているらしい事は分かるのだが、誰が何の目的で
自分を連れ去ろうとしているのかが分からない。
その時だった。
「見つけましたよ。こんな所にいたんですね。」
「………!?」
振り返り声の主を確認しようと思った時には、既に担がれ自分の体は宙に浮いていた。
「痛い思いはしたくないでしょう?僕だって手荒な事はしたくありません。
そのまま目的地まで大人しくしていて下さいね。」
そう言ってを連れて行くのは、沖田総司だった。
彼は前科があるだけに、も下手に暴れる事が出来なくなった。
「あんたが黒幕?」
は沖田を睨むが、沖田は気にも留めていない様だ。
嬉しそうに答える。
「いいえ、今回は僕の一存ではありません。」
「じゃあ誰が…」
「それは言えません。」
そのまま沖田は、倶楽部五稜郭ではなく、五稜郭へと向かい、タワーの最上階へと登っていく。
既に閉館時間が過ぎている為、人は自分達以外誰も居ない。
このような時間に何故、五稜郭タワーに入れたのか…。
は疑いの目を向ける。
「嫌だなぁ〜ちゃんと許可は取ってありますよ。」
沖田が屈託のない笑顔での疑問に答えた時、
上昇し続けていたエレベーターが止まり扉が開いた。
目の前に広がるのは360℃見渡す限り、星の様に散りばめられた光の海だった。
その光の海の中に人影が見える。
沖田はを降ろすと、じゃあ僕はこれで…と登ってきたエレベーターで降りていってしまった。
その沖田の声に気付き、人影が降り返る。
「…?」
「その声は、土方さん!?」
またしてもやられた、と思っても既に展望室に二人きりである。
「こんな所で何をしているんですか。」
「俺は、榎本さんに呼ばれて…」
そこで二人は、今夜の事は榎本の画策という考察に行き着いた。
「まさかお前が来るとは思わなかった。全くどいつもこいつもお節介な奴等ばかりだ。」
苦笑しながら、土方は胸元から手紙を取り出した。
「ここに来る客人と一緒に読め…と預かってきた。」
カサカサと封筒から手紙を取り出し、それを手早く開く。
”Happy Birthday 土方君&君
土方くんにはちょっと遅いかもしれないが。
二人でゆっくり幸せな時間を過ごしてくれたまえ。
この場所はささやかながら、私からの贈り物だよ。”
「なんだこの横文字は…」
見た事のない英語に眉を顰める土方。
何故、榎本が今日このようなセッティングをしたのか、意図が掴めていないらしい。
「お誕生日おめでとう、という意味ですよ。」
そうだったのか、と驚きの表情を見せた土方は、
再び胸元を探ると、カードのような物を取り出した。
「では、お前にこれを…」
渡されたのは、紛れもない土方の気持ちを率直に表したものであった。
「俺は客は取らんからな。分かってるとは思うが、こういう物を渡すのはお前だけだ。」
「あ…有難うございます。」
一時その幸せを噛み締めるが、は重大な事に気が付いた。
「あっ………!」
「何だ?」
「今日お会いできると思っていなかったので、誕生日プレゼントを持って来てません。」
「……何だ、そんな事か。」
そう言ってしゃがみ込み、と視線の高さを合わせた土方は、柔らかな笑みを浮かべ囁いた。
「それならこれで十分だ。」
そう言ってそのまま距離を縮め、唇を掠め取る。
「………………っ!!」
暗がりでもよく分かるほど、の顔色は変わっていた。
「桜色って言うより、梅の色だな。」
「土方さんっ!!」
「この位でうろたえてもらっちゃあ困るな。まだ夜は長いぜ?
幸い明日の朝まで誰も来ねぇらしいしな。」
土方はくすりと笑い、の反応を楽しんでいた。
そんな二人の一夜を、箱館の夜の光が優しく包み込む。
「榎本さん、任務遂行してきましたよ。」
そう言って笑顔で沖田が店に戻ってきた。
「ああご苦労だったね。抜かりはないかな?」
「ふふっ、僕が狙った獲物を仕留め損ねると思います?」
「いや。やはり君に頼んで正解だったようだね。」
二人の会話の内容についていけない従業員と、、。
後に事の真相と、榎本の顔の広さと財政力、そして沖田の怖さを知るのであった。